「もし叶うならば、どんな時代、どんな場所に行って釣りをしてみたいか?」
とは、太公望なら誰でもが夢想したことのある命題でしょう。但し、条件としては、現代のタックルをそのまま持ち込める、というハンディ付きですが(笑)
すでに沢山の釣り針が発掘されていて、地球温暖化前の縄文時代ならば、氷河期の生き残りとされるイワナが釣り放題ではなかったか、とか、まだ玉川温泉の酸性水が流れ込む前の田沢湖だったら、クニマスはどんな引きをしたのだろうか、とか、果ては、大航海時代のコロンブスの船に乗っていたら世界中の魚がイヤと言うほど釣れたのではないか、とか・・・
大の釣り好きの著者が、そんな思いを巡らして辿り着いたのが、日本の釣り文化の、ひとつの円熟期にあった、江戸は元禄時代でした。
津軽采女(つがるうねめ)という人物をご存じでしょうか?
英国ではかのアイザック・ウォルトンが「釣魚大全」を記していたのと同時代に、江戸では、「何羨録(かせんろく)」という釣りの指南書が刊行されていました。
釣魚大全が、"Study to be quiet."の語に代表されるように、釣り人の在り方を著した哲学書的な位置付けだったのに対し、「河羨録」は釣りのテクニックを追究した、言わば、世界初の釣りマニュアル、と言った趣でした。
どんな調子の竿で、どんな仕掛けで、江戸前の沙魚(ハゼ)を釣るか。
王余魚(カレイ)を釣るにはどんなエサと、誘い方で釣ったらいいのか・・・
そんなことが記されている「河羨録」を著したのが、津軽采女でした。
元禄時代と言えば、さまざまな町民文化が花開き、歌舞伎や浮世絵など、日本を代表する芸術が成熟した時期でもありました。一方で、時は、五代将軍綱吉の治世。かの「生類憐れみの令」が発せられた時代でもありました。
年を追うごとに厳しくなる「生類憐れみの令」、果ては漁師以外の釣り人が釣り船を出すことまで禁止される時代がやって来てしまいます。
そんな中で、釣り人たちはいったいどうやって過ごしていたのか?
はたまた、元禄時代を代表する事件、赤穂浪士四十七士の討ち入りと津軽采女の関係とは・・・
かの水戸黄門や松尾芭蕉との関係とは・・・
「河羨録」や「釣魚大全」よりも前に書かれていた釣りの書とは・・・
折しも栃木県では、福島原発事故の影響で、渓魚の解禁が延期される、という事態に陥っています。
釣りができなくなってしまったら、どうしたらいいのか?
そんな今までだったら考えもしなかったような命題に我々は直面しています!
あなたなら、どうしますか?
